5月21日、大変残念ニュースが入ってきました。

登山家の栗城史多さんが8度めのエベレスト登頂中にお亡くなりになられたそうです。

栗城史多さんは北海道出身の登山家で、同じ出身の僕としては大変残念な報道でした。

ご冥福をお祈りいたします。

さて、今回お亡くなりになられた栗城史多さんですが、一体どのようなお方だったのでしょうか?

エベレストへ単独無酸素登頂を目標に挑み続けた栗城史多さんのプロフィールや挑戦の日々、来歴についてまとめてみました。

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栗城史多さんのプロフィール

http://www.vsn.co.jp/magazine/talk/05.htmlより引用

本名 栗城 史多(くりき のぶかず)
生誕 1982年6月9日
出身 北海道瀬棚郡今金町
出身校 札幌国際大学

北海道瀬棚郡今金町出身で、単独無酸素登頂と頂上からのインターネット生中継を目指しエベレストに挑み続けた登山家です。

2009~2017年の間に7回もエベレストに挑むも強風などが影響し、失敗に終わっています。

4度目のエベレスト登頂時は指が凍傷となり、後に9本もの指を切断する大ケガを負いました。

しかし、その後もエベレスト登頂に挑み続けます。

2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行しましたが、登山途中に体調を崩して登頂を断念。

下山を試みるのですが、下山途中に帰らぬ人となってしまいます。

また、登山家としてだけではなく、起業家としての一面もお持ちだったようで、「株式会社たお」という会社の取締役社長でもありました。

栗城史多さんの登山家としての功績

栗城史多さんは2004年に初の海外挑戦を行います。

この時は、アメリカのアラスカ州にあるマッキンリーへの挑戦であり、北米最高峰である標高6,194mの登頂に成功しました。

以後、数多くの登山に挑戦してきました。

以下は、栗城史多さんの挑戦の歴史をまとめたものになっています。

2004年6月 マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂
2005年1月 アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂
2005年6月 エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂
2005年10月 キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂
2006年10月 カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂
2007年5月 チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂
2007年12月 ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 4,892m)登頂
2008年10月 マナスル(世界第7位高峰 8,163m)登頂
2009年5月 ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂
2009年9月 チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)体力の限界により7,950mで敗退
2010年5月 アンナプルナ(世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退
2010年8月 2度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、7,750mで敗退
2011年5月 シシャパンマ(世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良により敗退
2011年8月 3度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが敗退
2012年5月 シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退
2012年8月 4度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退
2014年7月 ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂
2015年8月 5度目のエベレスト登山に挑み、南東稜ノーマルルートからの登頂を目指したが敗退
2016年5月 アンナプルナ、6300mで敗退
2016年9月 6度目のエベレスト登山 7400mで敗退
2017年5月 7度目のエベレストに挑むとしていたが、ネパール側ノーマルルートの6800m付近まで登った直後に断念

成功と失敗の繰り返しただったようですね。

特にエベレスト登頂は何度失敗しても諦めずに挑戦し続けました。

挑戦する事や夢に向かって努力する事の大切さをその身をもって教えてくれた人だったんですね。

単独無酸素登頂とは?

栗城史多さんが目標に掲げていた、「単独無酸素登頂」

言葉の通り、「単独登頂」と「無酸素登頂」を同時に行い、登頂する事を示します。

しかし、「単独登頂」に関しては、明確な定義が無く、それ故、2008年10月にマナスルの登頂を栗城史多さんは「無酸素」「単独」登頂と主張したのですが、この主張はヒマラヤン・データベース、日本山岳会の双方から登頂を認定されていません。

いったいどのような主張の食い違いがあったのでしょうか?

「単独登頂」とは?

先ほど述べたように「単独登頂」に関しては、明確な定義がなく、現状は登山者間の相互評価に任されているようですが、一般的に登山界で言われる「単独登頂」とは、登山の行程の誰の力も借りる事無く、全てを一人で行い、初登頂者のベースキャンプより上で他者からのサポートを受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等といった設備を一切使わず登頂する事をさすようです。

しかし、栗城史多さん「単独登頂」と定義したのはベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂することのみのようで、他の登山隊が設置した固定ロープ等を使って登頂したそうです。

この様な見解の相違によって、栗城史多さんの「単独登頂」は認められなかったそうです。

「無酸素登頂」とは?

言葉の通り、「酸素ボンベ」を使用しないで登頂を行う事を指します。

標高8000メートルを超えるエベレストでは通常酸素ボンベを使用する必要があるとされており、世界的には無酸素登頂が価値あるものと評価されているようです。

栗城史多さんが嘘つきと呼ばれる理由は?

栗城史多さんについて調べる中で、栗城史多さんが嘘つきと呼ばれているという情報がありました。

そのように言われたのは、先ほどお話しした「単独無酸素登頂」の見解の相違が理由のようです。

「単独登頂」は定義は曖昧ながら、一般的には登山の行程の誰の力も借りる事無く、全てを一人で行い、初登頂者のベースキャンプより上で他者からのサポートを受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等といった設備を一切使わず登頂する事を指していましたよね。

しかし、栗城史多さんの「単独登頂」はベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂すること。

その為、栗城史多さんは

・他者の設置した固定ロープを使用。
・大規模なサポート隊を編成していた。
・固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営が行われ、無線によりサポートを受けて登っていた。
・登山に際して現地人ガイド添付が義務付けられているキリマンジャロにおいても単独登頂を達成したと発表している。

といった登山方法をとっていたそうです。

その結果、彼の登頂は「単独無酸素登頂」には値しないと、否定的な意見が多く、嘘つきと酷評されるようになっていったそうです。

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凍傷で指を9本切断

2012年秋に4度目のエベレスト登頂挑戦した時、栗城史多さんは凍傷にあい、その結果、指を9本切断する大ケガを負っています。

その時の姿をTwitterで公開していました。

その後、指の再生医療を受けると報告していますが、残念ながら指の再生には至らなかったようです。

右手の親指以外の全ての指を失いましたが、栗城史多さんはそれでも挑戦する事を辞めなかったんですね。

結婚はしていたのか?

栗城史多さんに関する結婚の噂はありませんのでおそらく未婚だったのではと思われます。

今までの経歴を見ても、年中世界の名だたる山に挑戦していたようなので、夢を叶える事念頭においた人生だったのではと思います。

高校や大学は?

栗城史多さんが通っていた高校は北海道檜山北高等学校という高校です。

地図を見る限り自然豊かな高校だったと想像できますね。

栗城史多さんはこの学校で登山を始めるきっかけとなる女性に出会ったそうです。

その女性とは2歳年上の女性で、この方と栗城史多さんはお付き合いするようになります。

その後、札幌国際大学へと進学した栗城史多さんですが、大学1年生の時に残念ながらこの女性に振られてしまいました。

そのショックから立ち直る為に、登山が好きだった彼女と同じ景色を見ようと登山を始めたそうです。

ちなみに札幌国際大学は北海道札幌市清田区清田4条1-4-1に本部を置く日本の私立大学で、偏差値は41~46の間で、標準程度の難易度のようですね。

最後の肉声は

訃報が報じられた5月21日の午後4時から本来であれば、栗城史多さんの登頂の様子をインターネットテレビ局「AbemaTV」で生中継する予定でした。

しかし、今回の報道があり、同日夜9時からニュース番組「AbemaPrime」で追悼番組が放送されました。

その放送内で栗城史多さんの最後の肉声が紹介されています。

「みなさんナマステ。今7400メートルのところにきています。今はこのエベレストを苦しみも困難も感じ、感謝しながら登ってます。かなり慎重に、やり遂げたいと思っています。みなさん応援本当にありがとうございます。叱咤(しった)激励を含めて、自分と同じようになにかにチャレンジする人たちに向けて、この共有が役に立てばと思っています。みなさんと一緒に登っていけたらと思っています。応援ありがとうございます」

感謝しながら登頂を続けていると語っているのが印象的ですよね。

そして、何かにチャレンジする人の力になりたいという思いも伝わってくるように感じます。

最後の肉声が感謝の言葉で綴られている事が感慨深いです。

まとめ

今回は栗城史多さんのプロフィールや今までの来歴などをまとめてみました。

栗城史多さんの人生は嘘つきと非難されても、指を失ってもチャレンジを続けたものでした。

彼のこの様な姿はこれから色々な人に影響を与えていくのではと思います。

大変残念な報道でしたが、ご冥福をお祈りいたします。

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