笑ってコラえてで紹介!不死身のライダー加曽利隆さんとは?2月20日放送!

2月20日に放送された笑ってコラえて。

今回の放送ではちょっと昔の旅という所さんが偶然選んだ年月日にスポットを当てその日に起こった出来事を探す企画が砲移送されていました。

選択された年数は1910年の11月7日!

当時の朝日新聞を読み返すと、「バイクで走る日本一周はこれで3度目になる」「5大陸の124ヵ国を巡って約25万キロ走行」「不死身のカソリとはこの世界では知られた名前だ」「日本一周は60代、70代、80代にもしますよ」と記載されています。

当時、朝日新聞に取り上げられていたこの賀曽利隆さんに1999年11月7日賞を受賞することが決まりました!



賀曽利隆さんはどんな人?

新聞に掲載されてから20年、現在は70歳を超えている加曽利さんですが現在もオートバイに乗っているそうです当時52万 kmだった走行距離は160万kmを超えたそうです。

加曽利さんは今までアジア、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、そしてオーストラリアを駆け巡り、1982年にはパリダカールラリーに日本人初のライダーとして参戦、さらに1972年には日本人初となるバイクでサハラ砂漠縦断という偉業を成し遂げています。

そして新聞に書かれていた日本一周ですが七十歳でも無事達成したそうです。



賀曽利隆さんがバイクに乗ったきっかけとは?

1947年に東京に生まれたカソリさんがバイクをしたのは10歳の時。

親戚のお兄さんがオートバイの後ろに乗せてもらったのがきっかけでした。

この時バイクに感動を覚えた香取さんは16歳で免許とバイクを手に入れます。

高校3年生の夏休み加曽利さんは友人3人と受験勉強の気晴らしでキャンプへ出かけます。

そこで見た雄大な景色と友人の「アフリカはこんなものではない」という言葉に加曽利さんは影響され、友人4人とアフリカの縦断計画を立てることになります。

この時の計画はアフリカ南端ケープタウンを出発しアフリカ大陸を縦断しエジプトのアレクサンドリアをゴールとし、その後はモロッコからヨーロッパへ渡り西アジアを通ってインドから日本に帰国するもので、出発は3年後の春、旅の期間は1年半を予定していました。

しかし、実際に計画をしたところあまりの壮大さに友人4人中2人が断念。

さらにその後、加曽利さんは大学受験に失敗した為、朝は牛乳配達、夜は遅くまで印刷会社でアルバイトを行い働き資金を集めます。

一方、もう1人の友人である前野さんもアルバイトを掛け持ち資金を貯めます。

そんな日々を2年続け、大卒の初任給が2万9000円だった時代に二人で200万円の資金を作り、それぞれバイクを購入し1968年7月12日に二人は横浜港を出発します。

横浜港から39日目、2人が降り立ったのはケープタウンではなくモザンビークのロレンソ・マルケス(現マフード)でした。

スタート地点設定したケープタウンは当時アパルトヘイトで混乱しておりビザが下りなかったためです。

その後ロレンソマルケスを出発した二人ですが、道はすぐに未舗装道路となり、片言の英語で道を尋ねながら北上しますが砂にタイヤが取られ、転倒を繰り返します。

長期の旅を考え、100キロ以上の荷物を積んでいたのですが、この事が完全にアダとなってしまいました。

その為、本来なら2~3時間で到達できるはずの170kmを抜けるのに9時間もかかりました。

この事態に「アフリカ大陸なんて出来るはずない」という周囲の意見が頭をよぎりますが、何とか旅を続けます。

この時にはバイクを直すうえ前もかなり上達していたそうです。

旅を初めて3ヶ月。

二人は赤道直下のウガンダに到達するのですが、前野さんが原因不明の高熱を出し、動けなくなってしまいます。

経費を削減する為に、一日100円以下で旅を続け、ホテルを取らず道端にテントを張っており、この時も同じような生活をしていた所、1人の少女が加曽利さんにジャガイモを渡し、加曽利さんはこのジャガイモを前野さんに茹でて食べさせたそうです。

この時のジャガイモの味を非常に美味しかったそうで、どの国の人も困っている人がいると助けてくれると思えるようになった2人!

その後、あちこちでアフリカの人達に助けてもらった為、当時怖いイメージを持っていたアフリカ人に対する考えが完全に変わったそうです。

そして、加曽利さんはある事を考える様になったのですが、当時前野さんには言えずにいたそうです。

その後、内戦が止まず退避勧告も出るソマリアを通る必要があった2人ですが、当時はまだ状況も良かった事もありなんとかソマリアを超え、エジプトに入ったのですが、道に迷ってしまったい当時敵国であったイスラエル兵と間違われ、捉えられてしまい牢獄にいれられてしまいます。

しかし、偶然居合わせた民兵により2人は奇跡的に解放され、その後出発から299日目、走行距離28,714kmで無事にアレクサンドリアに到着し、アフリカ大陸縦断に成功したのです。

加曽利さんのある考えとは?

アフリカ大陸縦断に成功した加曽利さんは以前から考えていたある思いを前野さんに話しました。

その考えとは再び南アフリカに戻りたいという物。

しかも今度は来た道ではなく西を通る別のルートを使用して。

加曽利さんはそれ程南アフリカにのめりこんでいたそうです。

この考えに前野さんは大学もある為、予定通りのルートを使用し帰国し、加曽利さんは再び南アフリカに戻る事になりました。

二人はこの時、「絶対に死なないで再び東京で再開する」という約束を交わしたそうです。

前野さんはヨーロッパから西アジアを抜け、日本に加曽利さんは西アフリカを南下し、無事スタートであるロレンソ・マルケスに戻ったのは10月25日、横浜港出発から1年半後の事だったそうです。

この時のバイクのメーターは42,816kmを指していました。

そして帰国後加曽利さんは前野さんと再会し、約束を果たします。

その後、27歳で結婚した加曽利さんですが、冒険は終わらず、アジア大陸、南北アメリカ大陸、オーストラリアと南極以外全ての大陸を渡ったそうです。

さらにサハラ砂漠縦断も13度成功し、不死身のライダーと呼ばれるようになったそうで、その後は日本を冒険する事にしました。

そして、日本では1年かけ、日本の温泉を3,063も回ったそうです。

1日当たり10か所の温泉に浸かった加曽利さんですが、当時の事を温泉で血管を広げ縮めてを繰り返すという血管のトレーリングを行ったと話していました!笑

ちなみにこの記録はギネス記録となっているそうです。

そんな加曽利さんは現在はツーリングマップルというバイク乗りのバイブルのライターとして活躍しているそうです。