3月4日に放送した世界ナゼそこに?日本人。

今回の放送では終戦直後のドイツをチフスから救った肥沼医師が紹介されています。

この医師が起こした歴史的大偉業とはどの様なものだったのでしょうか・



肥沼医師とはどの様な人?

終戦直後にドイツを襲った感染病であるチフス。

このチフスを治療する為、ドイツで1人戦う医師が居ました。

その医師こそが肥沼さん!

多くの医師がチフスに感染する事を恐れ、感染センターから逃げ出すなか、肥沼医師は感染症を恐れずに治療を行っていました。

当時のドイツではチフスの感染の原因であるシラミを恐れ、看護師さえも患者に触れる事を恐れるなが、肥沼医師は患者の衛生状態を保つため、1日平均睡眠時間2時間という状態で献身的な治療を続けました。

1人でも多くの命を救うために必死で戦う肥沼医師の姿を見た看護師達はこれまでと違い、患者に触れ、衛生状態を保つ事を考え治療を続けていくことに!

チフスに絶望していた看護師達も肥沼医師について行けば大丈夫と希望を持つようになっていきます。

しかし、そんなチーム肥沼に予想外の問題が襲い掛かる事になります!
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肥沼医師に起こった予想外の問題とは?

チフスは薬さえしっかりと飲めば治らない病気ではありません。

しかし、患者の増加や、戦争直後の為、街に合った薬局は燃えてしまいチフスの治療薬が底をついてしまったのです。

そんな状態でも肥沼医師は薬を手に入れる為、奮闘します。

不眠不休で治療を行っていた肥沼医師ですが、その代償の為か遂に彼にもチフスに感染してしまいました。

看護師から薬を差し出される肥沼医師ですが、その薬を別の患者に使用するようん指示し。1946年3月8日に37歳の若さでこの世を去る事になってしまいました。

さらに肥沼医師と一緒に治療に当たっていた7人の看護師の内5人も亡くなったそうです。

彼が命を懸けて救った患者は延べ400人以上と言われており、この姿に影響され、新たな医師や看護師が感染センターで治療を受け継ぎます。

この歴史的大偉業の為、現在でも肥沼医師のお墓に訪れる人がおり、彼の偉業は語り継がれています。

そしてこの物語にはまだ続きが存在します。



肥沼医師の死後の物語とは?

肥沼医師が亡くなってから6年後、ようやく日本の遺族に彼の死亡診断書が届きますが、詳細は不明・・・

29歳の時に家を出て以来、彼がどの様な人生を送ったのか家族は知る事が出来ないと諦めていたのですが、43年後ある奇跡が起こります。

その発端は朝日新聞の「尋ね人」というコーナーでチフスが大流行したリーツェンでセンター長として働き、死亡した事、街の町長が彼の遺族を探しているという記事が掲載された事です。

なぜ、肥沼医師の死後43年も経ち、この様な記事が掲載されたのでしょうか?

この理由はベルリンの壁の崩壊による為です。

当時、リーツェンは東ドイツに属しており、ベルリンの壁の影響で情報規制が行われていました。

本来なら、直ぐにでも彼の遺族に感謝の思いを届けたかったのですが、この理由の為、肥沼医師の死後43年が経ち、この様な記事が掲載されました。

この記事から肥沼医師の死の理由を知った彼の弟はドイツにある肥沼医師のお墓に桜を寄贈し、命日の3月8日には肥沼の式典が行われ、満開の桜が咲くそうです。

この式典には78歳の老人が欠かさず訪れており、この老人はチフスが大流行した時に肥沼医師が助けた少年でした。

この老人は当時、肥沼医師と一緒に桜を見るという約束はしたのですが、この約束を叶える事は出来ませんでしたが、彼のお墓に寄贈された桜を見ると涙が溢れ、今まで肥沼医師への感謝を忘れた事は無いと語ります。

自分の命と引き換えに多くの命を救った肥沼医師の物語は今でも語り継がれているそうです!