紫艶と桂文枝の出会いは?芸名の由来や今回の死因などを調査!

桂文枝さんの熱愛相手として報じられている紫艶さんが41歳という若さでこの世を去りました。

桂文枝さんとは20年の恋愛関係にあったと言われる紫艶さんですが、彼女の桂文枝さとの出会いや芸名の由来、そして今回の死因について調べてみたいと思います。



紫艶さんのプロフィール

本名:中江 ひろ子
生年月日:1978年1月17日
出身地:日本兵庫県尼崎市
職業:歌手

紫艶(しえん)という芸名から海外の女性かと思いましたが、彼女はれっきとした日本人。

1978年に兵庫県尼崎市に誕生し、本名を中江ひろ子さんと仰います。

歌手として活動していた彼女ですが、幼少の頃から民謡を歌い始め、18歳の時に「吉本演歌歌謡曲選手権」で優勝し、本格的な歌手活動を開始します。

後述しますが桂文枝さんと彼女が始めて合ったのはこの頃のようです。

当初は本名である「中野ひろ子」名義で活動を行っていた彼女ですが、2000年から「紫艶(しえん)」に芸名を変更し歌手活動を行って行きます。

その美貌からセクシーな演歌歌手として注目を集めていた彼女ですが2016年にFRIDAYによって桂文枝さんとの熱愛が発覚。

この事実は彼女自身、インタビューで認めていました。

その後、一度歌手引退を発表したのですが、引退を撤回し芸能活動を再開。

しかし、2019年3月11日に紫艶さんと連絡が取れない事を危惧した彼女の母親が都内にある紫艶のマンションの大家に連絡。

その後、彼女の部屋を訪ねると死亡している彼女を発見したそうです。



紫艶と桂文枝の出会いは?

今回亡くなった紫艶さんですが、桂文枝さんと20年にも及ぶ恋愛関係にあったそうです。

2人の熱愛を報じたFRIDAYによると紫艶さんと桂文枝さんが出会ったのは彼女が18歳の時だそうです。

この時、まだ無名だった彼女が桂文枝さんに会えるとしたら当事、紫艶さんが優勝した「吉本演歌歌謡曲選手権」でしょう。

ちなみにこの当事、桂文枝さんの年齢は52歳。

当事18歳の紫艶さんにとっては父親と言ってもよい年齢であり、後に桂文枝さんの事を「父であり恋人であった」と発言していた事からもお父さんのような存在でもあった事も分かりますよね。

18歳で桂文枝さんと熱愛関係となった紫艶さんですが、この時に桂文枝さんは既婚者であった為、一目を忍んでの密会となります。

大阪・梅田のマンションや桂文枝がよく泊まっていたニューオータニでの密会だったようです。

その後、2016年にFRIDAYによって2人の関係は多くの人が知るところとなります。

この時、FRIDAYに2人の関係がバレたのは紫艶さんと桂文枝さんのツーショット写真が流出したせいだそうです。

ただし、流出した原因についてはハッキリとした事は分かっておらず、「紫艶さんが限定公開しているSNS」「紫艶さんのパソコン」など色々な噂があるようです。

紫艶という芸名の名付け親は桂文枝

中野ひろ子という本名で活動してた紫艶さんですが、200年から芸名を「紫艶」に変更しています。

この芸名ですが名付け親は桂文枝さんです。

彼女の実家はタバコやを営んでおり、タバコの煙である「煙(えん)」から「紫艶」と名づけたそうです。

ただし、煙のままでは消えてしまう為、彼女の美貌を表すような「艶(えん)」を使用しました。

この芸名を使用し、2000年から「紫艶」名義での活動を開始しています。

紫艶さんの死因は一体何?

今回41歳という若さで亡くなった紫艶さん。

彼女がなくなった理由をメディアは病死と報道していました。

紫艶さんには重篤な持病などは無かったそうですが、桂文枝さんとの関係が公になり、彼と別れた結果、精神的に不安定になり治療の為たくさんの薬を服用していたそうです。

今回、その薬を大量に服用してしまった為、急死してしまったと思われます。

紫艶さんは、桂文枝との騒動後、歌手としての再起を目指し、最近では女優として仕事依頼もあり前向きに進んでいたところでの訃報となりました。



紫艶と桂文枝の出会いは?芸名の由来や今回の死因についてまとめると

今回は桂文枝さんと恋愛関係にあった紫艶さんの訃報について調べてみました。

41歳というあまりにも早すぎる死に桂文枝さんも言葉を失ったのではないでしょうか?

ご冥福をお祈りしたいと思います。