榎本喜八の伝説や面白い奇行を紹介!守備以上に打撃が天才的だった!!

本日、横浜ベイスターズのロペス選手が榎本喜八さん以来となる連続守備機会無失策プロ野球記録を更新しました。

ロペス選手といえば非常に打撃が優秀な選手の印象があったのですが守備も素晴らしかったんですね!

まさしく穴が無い選手です!

さて、そんなロペス選手以前に連続守備機会無失策プロ野球記録を樹立していた榎本喜八さん。

彼がどのような選手だったか紹介したいと思います。



榎本喜八の経歴

出身地:東京都
生年月日:1936年12月5日
身長:172cm
体重:71kg
ポジション:一塁手
等級・打席:左投左打
所属球団
毎日オリオンズ
毎日大映オリオンズ
東京オリオンズ
ロッテオリオンズ(1955~1971)
西鉄ライオンズ

榎本喜八さんが選手として活躍していたのが1955年~1972年の17年間。

そして連続守備機会無失策プロ野球記録を樹立した年が1967~68年のシーズンでした。

つまり約50年間この記録が更新される事がなかったんですね!

それだけ素晴らしい記録を樹立した榎本喜八さんなのでさぞ守備の名手かと思ったのですが、彼に関しては守備以上に打撃センスが天才的と評価する声が圧倒的に多かったです。

なんだかロペス選手とタイプが近いように感じますね。

その打撃能力からIT野球の先駆者で現役時代にキャッチャーとして活躍した野村克也さんをもってしても「攻略の方法が無かった」とコメントが飛び出すほど!

榎本喜八さんのバッティングは神の領域に達していたそうです!

では、神の領域とまで呼ばれた榎本喜八さんの伝説を見て行きましょう!

高校時代に毎朝500本素振り

榎本喜八さんは早稲田実業学校高等部出身であり、この時の早稲田野球部は非常に練習が厳しく1年生時に同期が80人もいたそうですが、卒業時に残ったメンバーはわずか7人だったそうです。

そんな榎本喜八さんですが、高校入学時からプロ野球でプレイすることを熱望し、早稲田野球部の先輩であり、毎日オリオンズでもプレーすることが決まっていた荒川博さんにオリオンズ入団を懇願したそうです。

そして荒川博さんが榎本喜八さんに出した条件が「毎朝500本の素振り」でした。

高校在学中の3年間、登校前に500本素振りを一日も欠かさず行えば世話をしてあげると話、この口約束を信じた榎本喜八さんは本当に3年間500本の素振りを行ったそうです。

荒川博さんは榎本喜八さんを諦めさせる為に口にした約束のように思いますが、まさかやり遂げるとは思っていなかったんでしょうね!

この結果、荒川博さんが球団に口を利き、入団テストを行う運びとなり、結果として見事オリオンズに入団を果たしました。

ちなみに榎本喜八さんは高校時代には強打者として有名な選手でしたがバッティングが大味だった為かどの球団からも声がかかることがなかったそうです。

榎本喜八さんは初代安打製造機

スバ抜けたバッティング技術を持った榎本喜八さん。

彼は非常に優れた選球眼を持ち、四球での出塁機会が多かったそうです。

しかし、三振の数は少ないため、アウトになるにしろバットにボールを当てる技術は素晴らしく、どんな球でもストライクゾーンにさえくれば反応したといわれています。

そんな榎本喜八さんですので、当選放った安打の数も多く、24歳9ヵ月という若さで通算1000本安打を達成し、プロ野球史上最年少記録を樹立しています。

ちなみに平成の安打製造機ことイチロー選手が1000本安打を達成したのは25歳の時であり、榎本喜八さんはイチロー選手以上の速さで記録を樹立しています。

初代安打製造機と呼ばれる理由がよく分かりますよね。



榎本喜八は守備が苦手だった?

ロペス選手に以前に連続守備機会無失策プロ野球記録を樹立していた榎本喜八さん。

打撃もそうですが守備も非常に上手だったのかと思われがちですが、実は彼はオリオンズ入団時は守備が不得意だったそうです。

しかし、彼の生真面目な性格と当事同じ一塁手でありライバルでもあった西本幸雄選手に守備を徹底的に教えて貰い、その翌年には一塁手におけるシーズン守備機会とシーズン刺殺数の日本記録を樹立したそうです。

その後、1967年8月から1968年9月にかけては1度も失策せず、1516守備機会無失策の日本記録を残したそうです。

打撃と同様に守備も努力によって磨き上げたようですね。

しかし、チームメイトだった村田兆治投手からは「お世辞にも守備が上手いとはいえない」と評価されているようです!笑

ただ、バッティングを突き詰める姿勢に関しては「プロの姿」と非常に感銘を受けたようです。

榎本喜八の打撃理論が面白い!

打撃の天才だった榎本喜八さん。

彼の打撃理論ですが、格闘技である合気道を取り入れた独特の打撃となっており、「合気道打法」と呼ばれています。

この「合気道打法」ですが、榎本喜八さんは

「バッターボックスの中にお城を構えているのと同じことなんです。私の体の前、ピッチャー方向に外堀と内堀があって、その間でボールを処理すると、バットは速い球にも負けないんですよ。外堀と内堀の幅は合わせて30〜40cmぐらいでしょう」

と解説しています!

正直、理論が凄すぎて理解が出来ません!笑

さらに「バットは心で振れ」という荒川博さんの教えを忠実に守り、鏡の前で打撃フォームのまま30分微動だにせず、構えを崩したときに良い練習が出来たと話していたという逸話があります!笑

実はこれに似た描写が大人気野球漫画である「ダイヤのA」に登場するのですが、個人的に榎本喜八さんの逸話を取り入れたなと思っています!笑

榎本喜八は自分の臓器の位置が分かる?

突然ですが、みなさん自分の臓器の位置って分かりますか?笑

まぁ、人体模型で大体の位置は分かりますが、正確には分かりませんよね。

しかし、榎本喜八さんは自分の臓器の位置が分かったんだそうです!笑

榎本喜八さんは臍下丹田(せいかたんでん)に意識を集中するというトレーニング方法を実践し、この結果、自分の意識が隅々まで張り巡らされ、臓器の位置を特定するまでに到ったんだそうです!

その結果、効率的な体の使用方法を覚え、無駄な力を使わないバッティングを会得したとか。

榎本喜八さんは晩年、バッティングに関して「脱力」というフレーズを使用していたので、この時のトレーニングによってこの境地に到ったのでしょう!

バッティングに取り入れられる物はなんでも取り入れたんですね!

ちなみにこの臍下丹田ですが、へその下にある丹田とよばれる部位を指し、心身の精気の集まるところとされています。

そしてこの丹田ですが、先程話した「ダイヤのA」にも登場しています!笑

「ダイヤのA」の作者である寺嶋裕二先生は野球部に所属していた事もあり、榎本喜八さんにかなり影響を受けていたのではないでしょうか?笑



榎本喜八の伝説についてまとめると

今回はロペス選手以前に連続守備機会無失策プロ野球記録した榎本喜八さんの伝説を調べてみました。

伝説を調べれば調べるほど、非常に生真面目で打撃を突き詰める為の行動であった事がよく分かりました!

また、奇行と呼ばれる行動もバッティングを極めることに繋がっていましたね。

数々の伝説を残した榎本喜八さんですが、2012年3月14日に大腸がんでお亡くなりになっているようです。

偉大な記録を残した榎本喜八さんは2016年に名球界入りを果たしており、亡くなった後でも非常に高い評価を受けた選手でした。

調べれば調べるほど「伝説」と呼ばれるに相応しい人物でしたよ!

個人的に面白かったのが、榎本喜八さんの逸話が「ダイヤのA」で再現されていることですね!笑

同じ野球選手であった作者の寺嶋裕二先生が榎本喜八さんをリスペクトしているのがよく分かりました!